7/22/2011
日本人英語の体験
Twitterやっていると日本人の英語教育についての話題が頻繁に登場してくる。
個人的な体験を書きたい。
まず今の僕の仕事環境では、自社オフィスではスペイン語
トップの会議では英語、あるいはスペイン語
日本人とはもちろん日本語
ブラジルの仕事に関連する時は、英語西語ポル語が全て混ざる。
メールは全部混ざっているが、ポル語のメールは少ない。
ちなみに僕はポルトガル語は出来ない。西語とポル語は殆ど同じという人もいるが、勉強せずに解るものではない。
何語を使うかは重要人物の使用言語と、参加者の最大公約数のどちらかで決まる。西語のできる上司もいるので、その時は西語になるが、上司が参加している会議ではいきおい英語が話されることが多くなる。
そこで感じるのは日本人が一番英語が下手だという事だ。ブラジル人もチリ人も、幹部クラスになると綺麗な英語を話す。勿論その国の訛りはあるが、大した問題ではない。
南米は格差が大きいために上位の階層がより高い教育を受けるということもあるだろうし、国の置かれている状況の違いもあるだろう。
私の会社は正直言ってあまり高学歴な人が集まる会社ではない。とはいえ高学歴な人は沢山いる。それらを差し引いても、日本人の英語が一番聞きづらい。
おそらく、私の周りの方々は英語を使う時に、いったん日本語に訳すという作業をしている。だから途中で「あー」とか、意味のない「the」とかが入ったりして文意が切れてしまう。あるいは日本語のリズムそのままで英語を話す。単語の用法とか語彙の問題ではなく、話し言葉として「聴きづらい」のだ。
外国語を母国語に訳さずそのままリアクションするというのは、外国語学習の一つの壁だろうが、本当に使いたいと思うならそれを越える必要があると思う。
僕は体験的に、音楽のできる人には外国語が得意な人が多いと思っているのだけれど、それはもしかしたら「リズムに合わせる」という共通点があるからではと考えている。自分が合わせに行くのだ。
コミュニケーションがお互いがお互いに寄り添うことで成り立つものだとすると、自国語のリズムのまま、あるいは逐次自国語に訳す英語の使い方は、日本語から向こう側の言語にジャンプしきってない様に感じる。
つまるところ聴きづらい英語を耳にしていると、相手への寄り添わなさを感じてしまい不快になるのかもしれない。
7/09/2011
自分の仕事
今日最初の会議が朝10時に始まり、最後の会議が夜9時過ぎに終わりました。凄く疲れました。チリは基本ほっとくと会議の仕切りがいい加減です。けど一番疲れるのは、実は、日本人のブロークンな外国語を聞き続けることです。
なぜかというと、例えば日本語の喋り方で、英語や西語を話すので、解釈するのに両言語のコンテクストで理解しなければいけないから、日本人のブロークンな外国語が疲れる。
助詞がない言語で名詞だけ単独で言われたりすると、解釈不能に近い状態になります。でも職務上僕は理解しなければいけない。
入社してしばらくして、大学出て俺はこんな仕事してていいのだろうかと考えていたことがあって、その時に、じゃぁ自分が持っている価値って何なのだろうと考えていたことがある。何か職人的な技術はない、専門的な教育を受けたわけでもない、俺は何なんだろうと。
その時にたどり着いた答えは、自分はtranslatorだなということです。
翻訳は言語間で行われるものだけど、言語というのは国語だけではありません。会計の言葉があり、ITの言葉があり、商売の言葉がある。
事業家の言葉があり、投資家の言葉がある。
その翻訳という仕事がどうやらあるようなのです。
というのも、
そういう立場の違う人の間に立って翻訳をしていると
感謝されたり、知的だと思われたり、評価されたりするのです。
僕のやっている「翻訳」という仕事に必要なのは、言葉の知識ではなくて、話者の思考を理解することです。僕の優位性はどうやらそこにあるらしい、と感じてます。
でもそろそろ僕はこの翻訳の仕事を捨てて、他の力を身につけないといけないなと思ってます。
それが何かはわかりませんが、reactiveなものではなくて、proactiveなものなんだろうと想像してますが、それもありきたりで競争力なさそうだなとも感じるところです。
なぜかというと、例えば日本語の喋り方で、英語や西語を話すので、解釈するのに両言語のコンテクストで理解しなければいけないから、日本人のブロークンな外国語が疲れる。
助詞がない言語で名詞だけ単独で言われたりすると、解釈不能に近い状態になります。でも職務上僕は理解しなければいけない。
入社してしばらくして、大学出て俺はこんな仕事してていいのだろうかと考えていたことがあって、その時に、じゃぁ自分が持っている価値って何なのだろうと考えていたことがある。何か職人的な技術はない、専門的な教育を受けたわけでもない、俺は何なんだろうと。
その時にたどり着いた答えは、自分はtranslatorだなということです。
翻訳は言語間で行われるものだけど、言語というのは国語だけではありません。会計の言葉があり、ITの言葉があり、商売の言葉がある。
事業家の言葉があり、投資家の言葉がある。
その翻訳という仕事がどうやらあるようなのです。
というのも、
そういう立場の違う人の間に立って翻訳をしていると
感謝されたり、知的だと思われたり、評価されたりするのです。
僕のやっている「翻訳」という仕事に必要なのは、言葉の知識ではなくて、話者の思考を理解することです。僕の優位性はどうやらそこにあるらしい、と感じてます。
でもそろそろ僕はこの翻訳の仕事を捨てて、他の力を身につけないといけないなと思ってます。
それが何かはわかりませんが、reactiveなものではなくて、proactiveなものなんだろうと想像してますが、それもありきたりで競争力なさそうだなとも感じるところです。
登録:
投稿 (Atom)