仕事用と趣味用とに大別されるわけだけれど、僕の場合仕事の本と趣味の本はつながることが多い。先日読んでいた「日本人の法意識」(岩波新書)もその一つだ。
もともと松岡正剛の「方法日本」シリーズを読んでいて、その中でこの本が取り上げられていたので興味を持って買ったのだった。この方法日本シリーズ3冊はこれまで読んだ本の中でも特に印象に残る本だった。松岡氏の千夜千冊のストックを下敷きに話が展開されるため、中身が濃密な上に、「もう少しこの点を掘り下げたい人はこの本を読んでみてください」という風に、外に開いているので、知的好奇心を維持したまま次の読書につなげて行けるのだ。また主題も「日本らしさとは何か」というところから、我々は自分の持ち場でどう「日本らしさ」を活かすのかという問いにしていくことができるのだ。というか、それが氏の言う方法日本であると私は理解した訳だが。
ちなみに僕はこの三冊の中で二冊目が最もフックした。というのも日本の近代がどうしてこうなったのか、という点ににじり寄っていたからだ。
その中で、「日本人の法意識」が紹介されているのだが、始めは参考のつもりで読んでいたのだけれど、これは自分の部下・後輩に進めたい本だと思っている。書かれたのは1967年である。内容は日本人がそれまで持ってきた法意識が、ドイツ・フランスが中心とする近代法のそれとどう異なっているのかを説明している。
この本によれば、日本における近代法の整備は治外法権の撤廃の条件として求められていたもので、国民的議論から生まれたものでも、醸成されたものでもない。
私は読み進めるうち、2010年代の今も、戦前の法意識というのは私たち日本人に抜きがたく残っていて、それがグローバル経済において「日本の常識は世界の非常識」といわれる様々の根底であることを改めて確認されられた。つまり、欧米列強の要求に対峙した明治とグローバリズムに退治している今日の日本は本質的に変わっていない。
ともするとグローバルスタンダードの何がしを理解するには、そのルールを学習し身につけなければならないと考える訳だけれど、それ以上に自分たちは物事をどう考えているのか、どのような癖があるのか、ということを学ばなければ自分たちの弱みにつけ込まれ続けるだろう。
例えばビジネスの世界で「アライアンスを組んでいる相手が、損だけを押し付けて逃げる筈が無い」というのが典型的な日本人の思考回路だろう。そんなことをすれば当事者間だけでなく業界内で信頼を失ってしまう、と。しかしそういうことが平気で行われるのがグローバルスタンダードかもしれない。では我々は我々の中に抜きがたく残っている日本人的倫理観をどのように現実とすり合わせて行くのか。それを考える一助になる一冊だと思う。