8/14/2012

ある駐在会社員の日常2 同僚の死

5年か10年仕事をしていれば、職場での事故が発生することもある。
だからこと組織内で安全活動も行われるわけだけど、残念ながら完全には避けられないのが現実の世界だろう。

この間、僕の同僚が死んだ。

出張中に自動車事故に遭った。

僕は、他の場所で、そいつの会社の為の会議をして、帰り道、上司と愚痴のような話していたところだった。僕の電話が鳴り、それに出たが、電話の相手は第三者で、些細な用事だった。僕がその電話している間に上司の電話が鳴り、僕は第三者と喋りながら横で話している上司の会話を聞き、何か起こったことに気付き、上司は測道の植え込みの端に座り込み、僕は電話の向こうの相手に不自然に大仰に話し、電話を切り、上司も電話を終えた。

亡くなったそいつとは、一緒の職場で働いていた訳ではなかったけれど、そいつが入社してきた時の紹介写真は俺が撮ったし、そいつの会社の為に何度も稟議資料は作ったし、重要な会議には何度も同席した。

去年の10月に出張に出かけていった時には、たまたま祝日があったので、ドライブに誘ってくれた。行き先は会社から一時間くらいのちょっとしたリゾート地で、大きなプールの周りにコテージやカバーニャが立っているようなホテルが幾つかあるところだった。一緒に行った奴の家族旅行の下見も兼ねて行ったのだが、男三人でブラブラしていたら、そいつが「おい見ろよ」といって、日本人ならストライクゾーンに入ってこないほど大きい尻の女性を指差して「最高だなぁ」と他のもう一人と眺めていた。俺は「あんた結構偉いのに」と思って、おバカ映画の様にニヤニヤしているその二人を遠目に、他人のふりをして待っていた。
そんなことを思い出す。


まだ僕が日本にいた2010年にも病気で同僚を亡くした。
身近な人の死を受け入れる時に僕が思うのは「死を忘れるな」ということだ。
別に memento mori という警句を知っていたわけじゃない。
僕は自分に子供が出来た時に、あぁ、俺はいつか死ぬんだな、とはっきり感じた。
子供ができる前は、死は今ほどリアルじゃなかった。


と同時に最近は自分が生きてきた意味はあったのかもしれないと思うようになった。
死と生が表裏なんだと思った。

先に無くなった人の分まで立派に生きようとか、未熟なのか、まだ思えないけど
たぶん僕はもう死を忘れないと思う。

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